みなとみらい21はこの2つの都心を一体化し、ここに企業やショッピング・文化施設等を集積します。 これにより市民の就業の場や賑わいの場を創出し、経済の活性化と経済基盤を確立することで、横浜の自立性を強化します。 みなとみらい周辺は歴史と未来が交差する新しい街. みなとみらいの象徴 ランドマークタワー. 『都市再生と環境インフラ』((株)都市計画通信社), 首都圏の一大業務集積都市でありながら、大型ビルの供給が抑制されてきた横浜のオフィスマーケットにおいて、MM21は大型需要の受け皿としての役割を果たしてきました。横浜駅周辺や関内、新横浜に、ワンフロア600坪クラスを確保できるビルが数えるほどしかないなか、1990年代に竣工したランドマークタワーやクイーンズスクエアといった大規模ビルは、まとまった面積を提供できるビルとして、極めて希少性が高い存在でした。MM21におけるこれら大型業務施設の開発は、長引く景気低迷下で一時停滞しましたが、一転して現在、複数の大規模プロジェクトが同時進行しています。, この背景には、近時の好況下における首都圏オフィスマーケット回復に伴う東京の土地価格高騰、それと比較して価格の低廉なMM21に大手事業者の投資意欲が向かったこと、さらにこれらを牽引する横浜市の積極的な誘致策が奏効したことが挙げられるでしょう。特に横浜市は、進出企業に対する税率の特例適用や助成金交付といったインセンティブを充実させ、日産自動車や富士ゼロックス等の大手企業を誘致し、エリアのブランド力を高めることに成功しました。また、開発事業者についても、入札金額の高さを競うのではなく、開発コンセプトが市の方針と合致するものを選定するといった手法を取っています。一時期、高層マンションの建設が集中したMM21ですが、今後は用途を業務中心に制限しており、オフィス・商業・住居・ホテル等バランスのよい街づくりが行われる結果、エリアのバリューはさらに高まることが予想されます。, さて、これらのプロジェクトの竣工が集中する2009年以降、MM21のオフィスマーケットにはどのような動向がみられるでしょうか。ワンフロア600~1,000坪規模の大量供給のもと、横浜市内で分散していたオフィスの統合や拡張移転の受け皿となるのはもちろん、郊外のR&Dセンター等の移転需要も顕在化することが予想されます。神奈川県内の集約ニーズに対し、賃料が高騰している東京都心部からバックオフィス機能を分散させる動きも出てくるでしょう。みなとみらい線の開通により、都内とのアクセスが格段に向上しているため、東京方面からの需要の流入は十分予測できます。また、MM21は、海という景観に恵まれ、近隣はグレードの高いホテルや住宅といった居住施設が整っており、外国人向けの学校もあるという点で、これらの環境を重視する外資系企業の注目が高まっているという一面もあります。, 以上のシナリオは、オフィス需要の回復基調を前提としていますが、まとまった面積を確保可能なビルへの品薄感が極限に達した横浜では、大型新築ビルについては当面は順調に推移していくものと考えられます。現在、MM21内では、横浜駅との人の流れを創出する歩行者ネットワークが整備されつつあり、根強い需要のある駅周辺の既存マーケットと一体となって、マーケット全体が相乗効果により一層活性化していくことに期待します。, 上記の記事の内容は

横浜みなとみらい21(よこはまみなとみらい21、Minato Mirai 21)は神奈川県横浜市の西区と中区にまたがり 、横浜港に面している地域である。また、1980年代から現在にかけて整備が進められている計画都市でもある。1989年(平成元年)の横浜博覧会 (YES'89) 以降、当該地区の開発が本格化し 、首都圏の新都心として、さいたま新都心と幕張新都心に並び重点的に整備された 。略称は「みなとみらい21」、「みなとみらい」、「MM21」など。都市景観100選受賞地区。 田口でございます。今日こういう機会を頂戴いたしまいて誠にありがとうございます。私がここ一年半ぐらい時間をかけまして、みなとみらいの開発の経緯を調べてまいりました。それについてお話しをさせていただきます。, みなさまのお手元に、この論文の冊子がございます。100数十ページぐらいあると思いますが、前半のほうに日本語、後半に概要版の英文を載せてございます。これは最初、我々の研究会の理事長が申し上げましたように、田村明の業績を世界に広く発信していくことを想定しておりますので、試しにこの論文の概要を英訳しました。では、始めさせていただきます。, 今日は本当にありがとうございます。私からまずお話しさせていただきますのは、みなとみらい21開発の50年間の経緯を実証的な資料を収集し、それらをみなさんに見ていただけるように公開できる形にして、それを経年的、時間的にどういうふうな展開があったかということを、紐解いていこうということで始めました。50年間、単純に言いますと、40万時間でございますね。40万時間を1時間、今司会からもっと短くせよということですから、仮に40分ぐらいでやるのは大変短い、これはほとんど不可能に近いですね。ただそうはいっても今日お時間を頂戴していますので、お話しさせていただきます。わたくしの話で抜け落ちている部分が相当出てくると思います。そこはこの冊子をお持ち帰りいただいて、これをお読みいただくと、よりお分かりいただけるような内容にはなっているかと思います。, ここに、見慣れたみなとみらい21の景観がございます。このみなとみらい21の研究をなぜ始めたのかということですが、これは単純な話でして、自分が知らないからです。役人をやっていた人間が分からない。いやそんなことはないだろう、学ぶ資料は沢山ある。田村明なるものはたくさん著作物を残したし、いろんな講演もしたし、いろんなところで資料が残っているじゃないか。みなさんそう思われるかと思いますが、実は分からないのです。確かに田村さんが書かれた本はたくさんあります。講演もたくさんやられました。ただ、それを裏付ける、いわゆる客観的な資料が積みあがっていないのです。それで、田村さんはこう言われたのだから、まあ田村さんがそう言ったのだからそうなのだろうなと思ってしまうのですが、我々としては実際どうだったのだろうということを知りたい、というふうに思いました。, こういう私も、今63歳になりましたが、25歳のときに横浜市に入りました。一瞬ですが、みなとみらい21の計画も担当いたしました。ただ、最初はアーバンデザインという都市デザインをやっていました。そういう人間にとっても、実はみなとみらい21というのはよく分からないのです。まちができていくのはよく分かりますね。色んな道路、埋め立てがされて、色んなふうにどんどんみなとみらい21が出来ているのは、分かります。だけど実際にはどういう風にこれが始まったのかは意外と分からないのです。, それとみなとみらい21の計画の綺麗なパンフレットがたくさん出ておりますが、その中では、飛鳥田市長と田村さんがおやりになった時代のことは、残念ながらほとんど触れられていない。そのようなこともありまして、我々は学びたいと、学び直したいということで始めております。, みなとみらい21の目的は何なのかと考えてみると、これは皆さんもご存知のように、横浜の都心をつくることです。横浜の都心は、実はここ関内だったのです。開港当時はここです。それから、鉄道がどんどん発達するにしたがって横浜駅の周辺。厳密にいえば横浜駅というのは何回か移っているわけです。今の横浜駅です。だからその2つの大きなまちがあった。ただその間に、このみなとみらい21のお隣に、三菱重工の横浜造船所というのがあったわけです。その三菱造船所に動いていただく。つまり、移転してもらう。自発的に動いたか、受動的に動いたかという議論はこの報告書の中にありますが、動いていただいた。田村さんに言わせれば動かしたということですね。動いていただいて、そのあとにみなとみらい21の開発ができて、その3つの都心が一体になるということが、このみなとみらい21プロジェクトの大きな目的であったわけです。では、その三位一体と書いてありますが、その3つの地区が一体に今本当になっているのかどうかというのが問われると思います。, だんだん時間がなくなりつつあります。まだ計画時の1年も経ってないですね。人的継承というところに行きます。飛鳥田市長と田村明、田村明さんは企画調整局長、最初の企画調整室長です。もっとも最初は、その室の担当部長ですが。その後、細郷道一市長、それを支え、みなとみらい21を色々プロデュースした小澤恵一さん、今はもう亡くなられておられます。そのあと細郷市長のときにもおやりになったのですが、廣瀬良一さん。今日あとでスピーカーとして登壇されますが、高秀市長の時代、廣瀬良一さんが中核的なお立場でみなとみらい21を推進されています。, こういう人的な流れがあったというのをお考えください。そして、みなとみらい研究の一番の目的は、わたくしが最初申し上げたように、わからなかったから始めた。じゃあ今わかっているのかと言われると、うーん少しわかったと。50年間の流れが少しわかったということです。我々が発掘した資料はすべて公開します。公開するというのが大前提です。なぜ公開するのかというのは、色んな方に見てほしいからです。我々だけがその資料を私蔵することはしません。色んな方に見ていただく、そして色んな方にまたみなとみらいの研究をしてほしい。つまり、私が今日この場で偉そうに話させていただいておりますが、まだ、やっと50年間の流れがわかったということだけです。だからみなさんにはさらにそれを深堀りしてほしい。なんだ、おまえはもう研究もうやめるのかとなりますが、いや私はやめませんが、色んな方にやってほしいということです。だから公開していきます。つまり公開できない資料は、この中では研究に使いません。, ある方がこういうこと言ったのだけど、どうもその裏にはこういう話があるらしいよ、という話は使いません。噂話は使いません。それを実証できる資料がない限り、研究としては使いません。そして、この研究の最終の目的は、では、田村明なるものは、本当にみなとみらい21をどこまで何をやったのかということを明らかにしようとしています。田村さんは昭和43年4月横浜市に入ります。そして昭和53年の3月、田村さんがお辞めになったわけじゃありませんが、3月で市長が代わっています。飛鳥田さんから細郷さんに代わっています。選挙がありまして、4月から市長が変わりました。私が横浜市に入った時はまだ細郷さんが市長に就任する前でしたので、市長代理から我々は辞令をもらっている、私はそういう時代の人間です。その時に、実はこの論文の中に書いてありますが、田村さんは実質、ちょっと言葉を相当選ばないといけませんが、企画調整局長から降りました。そして、兼務していた技監のみとなります。技監というのは技術職で一番偉いポストでございますし、今日参加者の中にも技監経験者が実は何人かおられます。そういう技術職としては最高位のポストに就かれた、ということであります。そうするとよく素朴な疑問でみなさん思われるのは、じゃあそういうことだと、それは世の中的に言うと左遷ですか、と考えられると思いますが、わたくしから申し上げることは控えます。, では、田村さんは53年以降、みなとみらい21に関わったの?という素朴な疑問が出てくると思います。そういう質問を田村さんご自身も、いろいろなところで講演される時にされたことがあるようです。田村さんは、実質的には関わってないと思います。ただし、その思想性と、その仕事のやり方は継承されたと考えます。これは私の考えでございますので、ご本人もおられるので、そうじゃないと言われちゃうと困りますが、小澤恵一さんや廣瀬良一さんが継承されました。小澤恵一さんは企画調整局時代の企画課長で、みなとみらい21を中心的になってプロデュースされました。田村さんの時代からみなとみらい21を担当されました。, そして、企画調整局の総合土地調整課長を務めた廣瀬良一さんです。廣瀬さんは今日出席されていますが、それらの方々に田村イズムとしての田村さんの考え方、田村さんのまちに対する姿勢、在り方、進め方、すべてをこれらの方々が、みなとみらい21を今のような形に仕立て上げたのではないかと思います。だから、田村明の思想性は受け継がれ、今のみなとみらい21があるのだと思います。, 一応これで大体私の言いたいことは終わります。こういう中で最後にちょっと手前味噌の宣伝ですが、みなとみらい21の研究というのは色んな方が実はされています。ただこういう、時系列的に50年間にわたってどういうことがあったのかということを細かく追跡された研究というのはあまりにありません。ということで、この論文の意義性が若干あるかなというふうに思っております。, これは非常に細かいものでございますが、年表です。お手元の冊子の後ろの方にございます。96ページにございます。字が細かくて大変恐縮ですが、この年表をつくることが、今回、大きな目的でもあったわけです。実はこの最初の第一期、これは昭和39年12月、六大事業と後に言われる、いわゆる横浜の改造計画が環境開発センターから横浜市長宛てに提案されたわけです。その時代から昭和53年までが第一期というふうに考えております。その第一期については、ほとんどが他の資料には書かれておりません。ということで、この時代を細かく発掘するのが、今回の大きな目的でありました。, それと、第二期に関しても、どのようなやり取りがあって、この開発が始まったのかということはあまり書かれていない。そのため、今回この論文をまとめる上で大変にお世話になったのは横浜市の現職の職員の方々です。その方々に対して、その部署に対して、情報開示請求を致しました。横浜市が色んな事業をやるときは方針決裁書というのをつくるわけですが、この論文の中にもたくさんでてきますが、判子がいくつも押されているようなものですね。いわゆる「稟議書」と言っても結構だと思いますが、それを作ります。それの情報開示請求を致しました。それによって、その方針決裁を作るときに色んな資料が付いてくるわけですね。それがすべてオープンになるということで、研究に際しては非常に役に立つものですが、そういうものを情報開示請求させていただき、たくさんの重要な資料を得ることができました。, 田村明さんの著書『田村明の闘い』を、お読みになった方が多いと思いますが、実は先ほど鈴木先生が言われていることと少しずれるのですが、この本を読んでも実は分からないことがどんどん湧いてくるのですね。みなとみらい21の話もそうなのですが、高速道路の地下化のときもそうでした。2、3年前ぐらいに、ずっと1年ぐらいかけて、それを調べて、今NPO研究会のホームページに公開していますが、詳細な経緯が分からなかったのです。背景も分からなかったです。それに関しても、色んな資料を発掘しました。, みなとみらい21についても、実は分からないことが多いのです。田村さんは、関係者がまだご存命ということもあるのか、色んなご配慮をされています。ご配慮されたために、語りにくい部分が相当あるのだと思うのです。そういうことで、どうもぼやかしてる部分があまりにも多いと私は思っています。ただし、その大方の部分は今回明らかになったかなと思っています。, もう一つ、非常に重要な資料は、小澤恵一さんが亡くなられる前に、ご自分で保管されていた資料をすべて横浜市の市史資料室に、野毛山にございますが、そちらの方にすべて寄贈されました。それが整理されて公開されています。その資料を今回の研究でたくさん使わせていただきました。, ただもう一つ、田村さん自身が、実はみなとみらい関係の資料を一切お持ちではないのです。もっと細かく申し上げると、他の色んな、市でおやりになっていた当時の事業に関係する資料もお持ちではないですね。ご自分では保管されてなかったということです。これは田村さんの資料も同じように、市史資料室に莫大な数が寄贈されているのですが、そういう具体的な事業についての資料は一切ありません。僅かに1点2点ぐらいはあるのですが。ということで、小澤恵一さんの資料が私の研究活動で非常に役に立った、ということでございます。, 3時ぐらいまでですよね。あ、50分。やはりこういう場ですから、最後に1人か2人ぐらいご質問を受けたいと思っておりますので、じゃあ、頑張りますね。あと10分で40年分やりますので。, これだけは申し上げたいのは、今回の論文で一番のメインテーマは、田村さんが言われてきた「民間主体開発」です。そういう言葉は使われていないのですが、民間に開発をやってもらい公共的な施設もそれで整備していく。だから民間が自分のビジネスとしてやることによって、公共的にもメリットを受けるまちづくりをするのだと。だから公共サイドが全部莫大な投資をして、民間開発を呼び寄せる、という形ではないのですね。, これは、市議会の答弁用のメモ用紙です。これは誰の筆跡なのかという議論がありました。田村さんの字かな?でも田村さんの字にしてはきれいすぎるなと思いますね。色々あって、実は小澤恵一さんの字であるということがわかりました。ここに民間開発と公共側の関係がどうあるべきだ、というのが書いてあります。あとは論文に載っていますので、ご参照下さい。, さて、これが最初の計画の絵ですね。みなさん、赤レンガ倉庫は田村さんが保存したと思われているでしょう、まあそうなのです。これは最初に環境開発センターが出した絵ですが、NPO研究会で一緒にやっている遠藤博君が、この絵には赤レンガ倉庫ないぞと言いだしました。赤レンガ倉庫は新港埠頭の所にあるのですが……ないのです。計画上は壊されています。, これに関して言えば、僕らが感じた田村明像というのは、田村さんは、どんどん学んでく人だということです。どんどん新しいことを、あるいは自分が考え違えたことを修正していく、そして自分の考えをどんどんどんどん高めていく、そういうことが出来る人だということです。つまり、赤レンガ倉庫は計画当初では意識に入っていないのです。壊して絵を書いてしまった。だけど、田村さんは徐々にその歴史的価値というのを気付いていくのですね。それで昭和50年ぐらいまでになると、その後の計画図にはきれいに残っています。だから、徐々に色んなことを学んでいかれた方であると。あ~すごいなと思って、常にそういう姿勢がお持ちの方であるっていうのは、我々にとっても非常に勉強になる、そういうことです。, これが昭和43年以降、市に入られたぐらいですね。どういう風な開発をやるのか、というための絵です。これでお分かりいただけるように、ちょっと絵が抽象的なのですが、当初意図したのは、三菱造船所の一部を埋め立てる、ほんのわずか埋め立てて使う、という絵です。だから関内地区と三菱の造船所、それと横浜駅周辺。三つの地区が一体となって機能する、そういう意図をずっと堅持されていますね。, これが三菱さん、当初から三菱地所を開発の主体として使うことをもう昭和43年、44年ぐらいからお考えですね。だから、何しろ民間の力をしっかり使うのだ、これ自体も造船所の地先をちょっと多めに埋めたぐらいの絵ですね。, これは昭和50年の絵です。これが企画調整局内部の職員と大高建築設計事務所で一緒に書いた絵ですが、これくらいの規模なのですね、せいぜい。, そして、これが昭和53年、54年、2か年かけて細郷市政の中で作られた八十島委員会、この方は東大の交通工学の専門家の先生でございますが、その委員会の絵です。この絵を作るために、実はもう時代錯誤みたいな話ですが、建設省と運輸省は、ここにおられる3/4の方ぐらいはそうだそうだと思われるでしょうが、別の役所だったのです。たぶん1/4の方は知らないと思うのですが、現在の国土交通省となり、いま同じ役所になっていますが、その運輸省と建設省のいわゆる、なんていうんですかね、テリトリー、利権争い、ちょっと言葉はあれですが、ご自分たちの法制度上の権限についていろんな軋轢がありました。それを調整することがこの絵の主たる目的であったという理解ですね。, それが解消されていく中で、徐々にみなとみらい21の開発規模というのはどんどん大きくなっていくのです。大きくなるというのは、埋め立ての面積がどんどん増えていくのです。これが中間案なのですが、そしてこれが最終的な案ですね。今の形と同じです。このぐらいの規模に増えていくのです。それはなぜ増えていくのか。もう説明する時間がなくなりましたが、この論文の中に細かく書いてあります。これはいろいろな関係されている方々の軋轢の中で増えていったのですね。, そしてその埋め立てというのは海を埋め立てるわけですから、これタダでないかと言う方がいると思われますが、埋め立ての事業費というものがかかります。, そして、私がお話しする中で最初ちょっと言い忘れた、きわめて重大なことが1点あります。みなとみらい21というのは三菱さんの造船所の開発以外に、当時の国鉄の操車場の開発、それが大きなポイントなのです。国鉄さんはこの図面の左側、高島ヤードという薄く線が何本も描かれているのが見えると思いますが、大きな貨物の操車場です。貨車を目的地別に組み替える、大きな敷地があったのです。それと桜木町の駅前には貨物駅というのがありました。つまりその二つをどかさないと、みなとみらい21の開発ができないのです。それが非常に大きな、大変な問題だったのですね。, だから、造船所と国鉄さんの件がすごく大きな問題でした。そして国鉄の問題に関しては、昭和62年に国鉄が民営化されますので、そのあと色々な動きがまだあるのですが、その国鉄にいかに対応してもらうのか、ということが大きな問題でした。それについても、この論文の中では細かく書いております。是非お目を通していただければと思います。, これが最終的に決着した事業上の区分です。この図面は、なんか素朴な図面だなというふうに思われるかもしれませんが、これが、市の方針決裁書の中に綴じ込んであった図面です。左上がポートサイド地区です。高島ヤードは2というふうにかいてあります。これはけっこう大きな場所なのですが、港湾整備事業で運輸省関係のお金を使う区域、それと建設省の土地区画整理事業の区域、そういう事業区分と対象区域が描かれています。これも論文の中にありますので、ご参照ください。, 最後に、区画整理をやった時の、従前の土地がどういうような敷地割であったかは、実は一般的に明らかになっていません。これは最終的には神奈川県、そして昔の住宅都市整備公団ですが、今のUR都市開発機構に情報開示請求を致しました。そして、ご担当者の方々には大変お手間をかけたのですが、公開していただきました。なかなかこういうものを調べるのは本当に大変ですね。資料を特定し担当部署を特定するのが、もうどうしたらいいのか、気が遠くなるようなことが何回もありました。, 最後、これがみなとみらい21の現在の敷地割ですね。「現在の」というと語弊がありますが、土地区画整理事業とは、従前の地主さんが換地、つまり土地を返してもらうわけですね。そのときの区画割です。その後に土地が転売されて、「現在の所有状況」になります。さて、その中で、この墨掛けになっているところは、三菱さんがお持ちの場所、つまり換地を受けた場所がどこかということを解明したものです。どこに三菱地所あるいは三菱重工さんが土地を持っているかは、なんとなく分かるのですが、正確には分からないのです。それをここまでたどり着くのは、まあえらく大変でした。不動産登記所で閲覧すると、マンションやオフィスに分譲されたケースもありますから莫大な件数になります。かつ、費用もかさみます。ただし、サンプル的には登記上で謄本をとっています。そのようなこともやりました。, この論文の結論は何かと言われると、簡単に申し上げることは難しいですね。民間主体開発は、民間を開発の主体に据えてやってもらうことですが、概ねできたと考えます。ただ、この開発の規模からお分かりのように、当初の図面からだいぶ区域が広がりました。大幅に広がったといってもいいかもしれません。その中で三菱地所、三菱重工さんが、一生懸命まちづくりを今もされているわけですが、全体の規模からいって、だいぶその所有割合は小さいですね。それと、先ほど申し上げました、高島ヤードとか、そういう国鉄さんが持っていた土地については、国鉄清算事業団に土地が移管され、国鉄清算事業団がそれを民間なり公共に売却するということですが、結果的に莫大な額になった。これはまた論文にありますんで、参照していただければと思いますが、横浜市が買っております。その一部が転売されて日産自動車の本社ビルにもなっています。そういうふうに、一旦横浜市が買って、会社を誘致して安く、高くじゃないのですね、安くお売りしているようです。横浜市の政策としてはよろしいのかと思いますが、莫大なお金が、このみなとみらい21の開発事業にはかかっているということと、長い時間がかかっています。, それと色んな方々が、田村さん、小澤さん、廣瀬さん、以外にも今日ここに来られている方々もそうだと思いますが、多くの方が関わってこのまちができています。まちづくりを、長期的に責任をもって推進する市役所内部の人材が継続したことも大きいと実感しています。今後も多くの方が関わって、このまちができていくのだと思います。我々がすべきことは、これまでの歴史を整理するということだと思いますので、NPO研究会を設立しました。じゃあ時間もなくなりましたので、1名ぐらい、どなたかご質問おお願いします。たくさんご質問あると思いますが。じゃあどうぞ。, 港北区に住んでおります、松浦と申します。どうも、田口さんいつもありがとうございます。今日小冊子の方を拝見させていただきまして、大変印象深かったところが、埋め立て会計のあとの、頂きました論文の章立てで申しますと、4-8の土地開発公社の会計というところから、今日の今のお話の最後のところにある、要は国鉄清算事業団が、みなとみらい21の土地開発の影響が及ぶ範囲の土地を全部持っていたというところですね。あと、二つ質問ございまして、一つは、今回、田口さんのお話は今まで開発とそれから行政のお話が多かったと思うんですが、それが今回このように市民にとっては非常に気になる、市の財産がどのように生かされたか、みなとみらい21の計画の中で生かされてきたのかというお話になったこと、大変よかったのですが、これからそれについてどういう研究をなさいますか、続けられるんでしょうかということと、もう一つ、小澤恵一さんの蔵書が市の市史資料室の方に収められたということで大変喜んでおりますけれども、ぜひ田口さん個人としてその資料を見た中で、一番自分がこれはこうだと思わなかったという、印象深かったことを一つお聞かせいただけませんでしょうか。どうもすいません、お願いします。, はい、ありがとうございます。大変根源的な質問なので30分ぐらいかけないと答えられないでしょう。最後の方から言うと、この研究を始める最初に、わたくしの強い思い入れというか、思い込みがありました。今日その関係者の方もおられるかもしれませんが、この論文もご覧になっていただいたのですが、三菱関係がこの事業に際して、相当なる優遇をされてきたのでないのかなという思い込みがあったのですね。結論的に申し上げると、小澤さんの資料とか、参考資料を分析すると、それはどうも、そういうことはなかったみたいですね。ただし、途中そういう雰囲気のときもあったかもしれません。ある時代はですね。, ただその後も、三菱さんは極めて一生懸命まちづくりに貢献されている。つまり、ご自身たちの土地も公のために提供したりして、たいしたものだなと逆に思いました。ただ、松浦さんの最初の質問と同じなのですが、じゃあ、どの程度ちゃんとやっているのかですね、程度の問題とかいろんなことに関しては、今後研究を深めないとわかりません。最初のご質問もそうですが、今後この研究がどういうふうに展開するのかは、我々NPO研究会の会員、あるいは今度新規にお入りいただける会員の方々、あるいは周辺でご賛同いただける方々と共にですね、研究の在り方、研究の高め方を議論しながらやっていきたいなというふうに思っていますので、ぜひ松浦さんもご参加いただいて、研究をご一緒にと思います。そんなことで、すみません。じゃあ5分延長しましたが、はいこれで終わります。, 研究資料・情報開示 Research material & disclosed information, 田村明との出会い・思い出My personal memory with Tamura.


桜木町やみなとみらいなど、横浜は現在再開発のピークを迎えていると言われています。そんな横浜で今後新しく開業される新施設や新スポットをまとめてご紹介していきます。 歴史 1934年 ( 昭和 9年) 6月15日 - 表高島駅 が、後のみなとみらい六丁目に開業。 1982年 (昭和57年) 11月14日 - 同日限りで表高島駅が廃止 [9] 。 掲載当時のものです。, 横浜みなとみらいオフィスレポート - 研究開発拠点が集積する都市【無料ダウンロード】, (仮称)MM42 Project 〔(仮称)みなとみらい21中央地区42街区新築工事〕, CSKグループは、延床面積約26,000坪、地上32階・地下2階の新本社屋建設を計画、都内に分散しているグループ会社オフィスを集約する。本社オフィスの他に、IT・バイオ関連のベンチャー企業を育成するインキュベーション施設や、医科学系等の最先端研究施設、文化交流・商業施設も計画されている。, 野村総合研究所の本社機能を核とする、延床面積約30,000坪、地上30階・地下3階の高層ビル。アジア系企業の誘致・育成(アジアビジネスセンター)や、ビジネス交流・情報発信(カンファレンスセンター)等の機能も盛り込む計画である。また、緑豊かな1,500坪超の広場(フォレストパーク)も配置される予定となっている。, ホテル(W Yokohama:スターウッドホテル&リゾートワールドワイドInc.のブランド), 万国橋通りと栄本町線および海に囲まれた約7.5haのエリアで、地権者で構成される「北仲通北地区再開発協議会」が中心となって進めている再開発事業。A地区とB地区に分けて開発される。A地区(開発事業者:森ビル、大和地所)では4棟の超高層ビルが建設される予定。業務・商業・ホテル・文化施設・住戸・駐車場の複合用途となる大型プロジェクトである。. また、ランドマークタワー、隣のクイーンズタワーA棟共にテナント企業に対するワーカー特典を用意しています。施設利用優遇や割引の内容は企業によって異なる為、貸事務所入居後の確認が必要ですが、貸事務所運営上プラスになる点もある為、検討時に参考にすると有意義です。横浜市では、みなとみらいに限らず重点産業を営む市外企業が一定の条件で横浜市内に事業所を構えるときの為に「横浜市重点産業立地促進助成の都心進出特例助成制度」を設けています。上限300万円、5か月分の賃借料を補助するというこの制度は、新たに起業する場合も対象となる為、これからビジネスを考える企業も検討の余地があります。重複申請は出来ませんが「横浜市アジア重点交流国・地域企業誘致助成金」では、同じく賃借料の上限300万円を、アジアの重点的に交流を進める国の企業に対し補助します。こちらは新たに設置する事務所における従業員数が、代表者以外2名以上の事業所から対象となる為、みなとみらい地区で海外企業が貸事務所を検討する際、多くの企業が有意義に使うことが出来そうです。他、不動産の取得についての助成等も別途用意されていますが、賃貸料の優遇は貸事務所での営業を考える企業にとってとてもうれしい点。横浜市歌に「あらゆる国より舟こそ通え」と歌われるように、かつて諸外国との交易に多くを頼み、現在もみなとみらい地区の開けた体質にビジネスの様々な可能性を宿す横浜市。これからも企業招致やイベントを通じ、近隣地域との交流を深め未来に向けて発展していくことが予測されます。そして、多くの企業が横浜の貸事務所を検討する決め手となる「コストパフォーマンスの高さ」も、見逃せません。東京の約6~7割といわれる貸事務所の賃料と助成金を組み合わせれば、みなとみらいをはじめとする横浜市内で、永続性のある事業を行う事が出来そうです。, 東京都(千代田区・中央区・港区・新宿区・渋谷区・品川区・豊島区・江東区・台東区・大田区・文京区・中野区・墨田区・目黒区・世田谷区・八王子市) - 東京都市区一覧, 神奈川県(横浜市・川崎市) - 神奈川県市一覧 | 埼玉県(さいたま市) - 埼玉県市一覧 | 千葉県(千葉市・船橋市) - 千葉県市一覧, 路線(JR山手線・JR総武線・JR常磐線・JR埼京線・JR京葉線・東京メトロ銀座線・東京メトロ東西線・東京メトロ有楽町線・東京メトロ日比谷線・東京メトロ千代田線・東京モノレール・東急東横線) - 路線一覧, デザイナーズオフィス | リノベーション済賃貸事務所 | 賃店舗可の事務所 | 貸倉庫可の事務所 | レンタルオフィス, オフィスの知恵袋 | 総務なんでも知っとく情報 | 移転コストシミュレーション | 移転マニュアル | 賃料・家賃相場情報.

歴史 1934年 ( 昭和 9年) 6月15日 - 表高島駅 が、後のみなとみらい六丁目に開業。 1982年 (昭和57年) 11月14日 - 同日限りで表高島駅が廃止 [9] 。
企業業績の回復と横浜市の積極的な誘致策により、MM21地区では今、数々の開発プロジェクトが始動している。ここでは、「横浜ランドマークタワー」竣工以来のインパクトをもたらす大手企業の進出や、大規模オフィスビルの建設計画により、ビジネスゾーンとしてのポテンシャルが急上昇している横浜ベイエリアの近未来像を紹介する。, JR桜木町駅前広場隣接という好立地に誕生する、大型業務・商業複合施設。低層階には店舗(物販・飲食)・フィットネスクラブ・大型シネマコンプレックスが配置される計画。高層階は10~19階がホテル、10~17階がオフィスとなり、2つの用途が隣り合う構造となる。オフィスはワンフロア面積約310坪、天井高2,800mm+OAフロア100mm。2階には「動く歩道」に接続するオフィス専用エントランスホールが設置される。さらに、オフィス専用EVは低層階の飲食店フロアと直結しており、テナントの利便性を考慮した動線計画を採用している。, 「横浜ランドマークタワー」や「クイーンズスクエア横浜」を手がけた三菱地所のオフィスビルプロジェクト。みなとみらい線特急停車駅「みなとみらい」駅の真上に位置し、駅出入口にダイレクトアクセスする交通至便な立地に、07年12月に竣工予定。延床面積は約15,700坪、基準階貸室はワンフロア約825坪、天井高2,800mm+OAフロア100mm、奥行き21m超となる。MM21地区の街づくりテーマに沿って、ペデストリアンウェイ(歩行者専用遊歩道)には緑あふれるオープンスペースが設置される。, オリックス不動産、大和ハウス工業、ケン・コーポレーションの共同事業となるオフィスビルプロジェクト。みなとみらい線特急停車駅「みなとみらい」駅に地 下で直結する好立地に建設される。建物構造は制震+免震構造を採用、延床面積は約29,000坪の規模となる。基準階オフィススペースは、天井高 2,950mm+OAフロア100mm、有効面積約1,000坪の大空間。敷地の西側には、約900坪の中庭状の公開空地を設ける予定となっている。, パシフィックマネジメントは、グループの連結SPCである有限会社オーク・デベロップメントを通じ、独立行政法人都市再生機構から46街区の3区画の土地 を取得、大型オフィスビルを建設する。2009年から始まるMM21地区大型ビル竣工ラッシュの先陣を切ってオープンする予定。地上17階、地下2階、塔 屋2階、延床面積約15,800坪の規模となり、オフィスのほかに一部商業施設が配置される計画である。, MM21中央地区65街区に建設される、富士ゼロックスの新たな都市型の研究・開発拠点。延床面積約41,000坪、地上20階・地下1階の規模となる予定である。分散していた既存の研究開発拠点を集約することにより、領域を超えて各機能の連携を強化し、商品開発のリードタイム向上、研究・開発コストの効率化、市場ニーズへの迅速な対応を目指す。, 2007年1月に起工式が挙行された日産自動車の新本社屋は、地上22階・地下2階、高さ99m、延床面積約24,000坪となり、従業員約2,500人 が勤務する予定。遅くとも2009年10月までには移転する計画である。1階には、市販車等の展示や企業の情報発信等を行うショールームを配置。ショー ルームより吹き抜けた2階部分には、横浜駅からMM21地区をつなぐペデストリアンデッキが貫通し、一般歩行者にも利用される。当計画建物は、環境面にお いて、CO2排出量削減および省エネルギー化等が評価され、2007年3月にCASBEE横浜認証制度(横浜市建築物環境配慮評価認証制度)の最高位Sラ ンクを取得している。, 写真・資料提供:㈱テーオーシー、三菱地所㈱、オリックス不動産㈱、丸紅㈱、パシフィックマネジメント㈱、富士ゼロックス㈱、日産自動車㈱  横浜市都市整備局WEB 記者発表資料(http://www.city.yokohama.jp/me/toshi/) 歴史と景観を活かした再開発 みなとみらい21中央地区と開港以来の街・関内山下地区との結節点に位置する新港地区は、わが国初の近代的な港湾施設として、明治後期から大正初期にかけて建設されました。


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